出産レポ

毎日歩いてたのに予定日1週間超過したし、陣痛開始から23時間近くかかったよ!陣痛が来るかこないかはまじで努力で何もならない!

自分の後学のために出産レポ。

 

5/17 40w2d 健診

前の週の健診で、40wの診察に来ることになったら誘発も考えましょうって言われてたのに、まさかの41wまで待つと言われて絶望。もうかなりメンタルがやばかったし、買い物もそんなにしてねーのに!と思った。

いっそのこと色々やろうということで、健診の帰りに思いつきでチケット買ってエヴァを見に行った。

内診の影響で出血あり、腰も痛くなってきてたので、スクワットしたり色々したら、夕方からお腹の痛みが来る。これを逃すともう自然陣痛来ないかもと思ったけど、結局寝たら遠のいてしまって泣いた。

その後も前駆陣痛が続くが、木曜になってもう嫌になってきて、もう生まれる気ないだろと胎児にブチギレて夜ご飯ハンガーストライキする(バカ)

 

5/21 40w6d

4:30頃からお腹の痛みがあり目が覚める。測ってみると8-9分間隔で6回続いたのでこれは…?と思う。股に違和感があってトイレに行ったら尿じゃない色ですごい濡れてて、破水?と思って夫を起こす。

とりあえず産院に電話して、破水だったら入院になるので来てとのことだったので、タクシー呼んで向かう。

産院前で夫とバイバイする、わりとあっさりだった。

6時頃。NSTつけるとやはり定期的な張りで陣痛だった。PCR検査して破水検査。破水じゃなかったし子宮口微妙だけど、定期的に陣痛きてるからこのまま入院、夕方かなと言われる。

8時 朝ごはん。破水じゃないならもっと家でゆっくりすればよかった…と後悔する。

9時頃。お腹の痛みが5-6分間隔になる。

10時頃。内診。すぐそこにいるけど子宮口が開いてない、3センチくらい。陣痛が弱いから進まないのかもしれないとのこと。歩いたらスクワットしてと言われる。

12時。お昼ごはん。痛み強くなってきたけど、痛みの間にご飯をめちゃ食える。

13時頃。内診。子宮口硬くて4センチいかないくらい。夜には生まれるでしょとのことで伸びてるやんけ…と絶望した。刺激されて痛みがまた強くなる。精神的にしんどくなってくる。

17時頃。内診。4センチになったけどまだ進まない。痛みが降りてきてお尻が痛くなってくる。左半身が痛いんですがと言ったら赤ちゃんそっち側にいるからねとのこと。夜には生まれると思うけど、明日になったら促進剤使うと言われて了承。夜勤の助産師に変わるね、がんばれといわれる。その後痛みがまた強くなってきたけど、眠くて痛みの間にウトウトする。

18時。夜ごはん。痛みが強くなってきてなかなか食べれず。ゆっくり時間かけて完食。お尻が痛い。痛くて声が出るようになる。

19時頃。胎動をお腹側で感じるなら、回るために四つん這いになってと言われる。痛すぎて辛い。

20時頃。内診。子宮口4センチでハア?って思った。こんなに痛いのにもう生まれないんだ…って感じで辛すぎた。

21時頃。夫と電話しながら耐えるけど、もう痛くて何も喋れない。定期的に助産師さんに腰さすってもらったりしてなんとか耐えれたけど、途中で消えるからそうなるともう無理で無理だった。

 

ここからはもう時間わからない。

NST付けたけど、4分間隔と言われる。もうこんなに痛いのにまだかかるのかよ!って思いつつ痛すぎて何も考えられなかった。耐えられなくて途中からいきみ出してしまい、絶叫してた。

ダメだと思って頑張って呼吸しようと思うんだけど、一回いきむともうダメで、それでしか痛みを逃せなくなる。いきみとともに雄叫びをあげる。まじでやばかった。

だめだー!と思ってナースコールして、もうどしてもいきんじゃうんです、我慢できませんと言ったら、もういいよ!それで!と言われる。ほんとかよと思うけど、一応いきみたくなったときのためにいきまないようにする方法を教えてもらう。

が、ぜーんぜん無理☆超いきんで雄叫びをあげていた。うるさすぎたのか助産師さん登場www

内診したら6センチまで進んでおり、いきなり進みそうだからご主人に起きて待機してと連絡してくれる?と言われる。夫に電話した時も雄叫びあげてた(笑)分娩室用意してくるから待ってねと言われたけど、その間にも耐えられなくていきむし雄叫びをあげるしまじで断末魔。超迷惑。

戻ってきて再び内診、子宮口全開だから移動します、ご主人呼びましょうと言われる。電話履歴確認する限り、最初の電話が1:32、次が1:52だったので、まじで6センチからの進みが早かったっぽい。あとから夫に聞いたら、最初の電話では明け方と言われてたらしい。本当に予想外の進み!

分娩室移動してる時も痛いし、足は生まれたての子鹿のようにブルブルしてた。分娩台まで上がってって言われたけど、こんな高いところ無理、死ぬと思った。

いきみ方教えてもらったけど、なんか分娩台あがったら痛みわからなくなったwww 担当じゃない助産師さんにも「部屋にいるときよりも痛くなさそうじゃない?!」と言われる。

いきみ始めたけど、夫到着してるのに入れてもらえなくて、えっ入らないんだとか思う余裕があった。痛みがよくわからんのでとりあえずいきむ。2回目のいきみが大事と言うけどさ、1回目いきんだら呼吸困難になってそんなすぐいきめなくない?!?!と思った。

頭がデカイのか出てこれなくて結構助産師さんが頑張っていた。髪の毛見えてるしもう少しだけど、やはり出てこれなそうということで切開することに。何も聞かれなかったけど全然良かった、まじで早く生まれて欲しかったから。

先生到着する前に夫が部屋に入ってくる。いよいよなのか!と思って安心した。会えて嬉しかった。

次のいきみのときに切開しますねと言われる。助産師さんが張り来てなくてもいきんでいいよって言うけど上手くできなくて、先生ももう1人の助産師さんも、いや、次でいいでしょってなっててちょっと今思うと笑える。いきみが来たので切開しつついきむ。全然痛くなかった。

もう少しだから、話をよく聞いて、もういきまなくていいよって言ったらいきまずに呼吸を整えてねと言われる。

そこから3回くらいいきんだら、もう大丈夫出てくるよと言われてなんかニュルルンとした感触と共に誕生3:02。すぐ泣いてた。やっと終わった解放感があった。だから分娩室入って1時間くらいなのだろうか???

その後、胎盤出して会陰切開の処置してってしてたけど、分娩室に入ってからはそこが一番痛かったから、いった!!!!ってめちゃ声出してた。今思えば、そのときになってやっと理性が戻ったんだろうね。

 

こんな感じ〜。

前駆陣痛なんて全然痛くないし、5分間隔の陣痛なんてまじで全然痛くないものだった。最後が壮絶すぎて。

コロナ禍出産は、たまに入ってきて消えていく助産師さん以外、陣痛中は1人だったので結構辛かった。もっと早く進めば良かったのだろうけど、陣痛がほんとに長引いたので。なんでこんなに進まないんだろうと思ってたし、もう最後の方は記憶がないけどとにかく辛かったのは覚えているし、自分こんな声出るんかって感じの雄叫びをあげていた。まじで雄叫びとしか言いようがない。

痛みに耐えてるのに進まないとき、もう誘発でもバルーンでもいい、お腹切ってもいいからもう終わりにしたいなんかやってほしいと思ったし、もう嫌すぎていた。最後の最後まで赤子の心音が全然下がらなくて元気だったから、その選択肢がなかったんだろうと思う。次があるなら絶対に無痛にすると思ったし今でも思っている。まじであれは人類の設計がおかしい。自然分娩なんてクソ喰らえである。

おわり。

 

 

 

 

 

妊娠生活②

中期というわけでこれからは1ヶ月ごとを目安に記録をしてみようとしてたのだけど、中期って本当早くすぎていくので、間に合いませんでした。5ヶ月〜7ヶ月となる3ヶ月の記録を書きます。ちなみに細かくかけてるのは、Twitterのおかげ。

 

5ヶ月

・やっっっと中期!安定期!ということで嬉しい。

・初期終わりはよく吐いてたけど、それも無くなった

・水飲むのが辛くて飲めてなかったけど、飲めるようになってきた。しかし頻尿になる。夜は必ず一度起きる。

・ちょっとだけ貧血ぽくなったときがあった

・17wの検診で、性別判明。男の子!

・鼻水がひどいので漢方薬を産科で出してもらう。

・体重1kg/月ずつ増えるペース。太ったことがないから人生最高体重行くのも早くてつらかった。5ヶ月時点で2kg増えてた。

・便秘がひどくなる。

・17wで初めて胎動を感じる。スゲーって思った。

・夫が胎動を感じられなくて拗ねる。なんだこいつって思ってた。

・お腹の毛がゴリラかなと思うくらい濃い。代わりに?足とか腕とかは薄くなった

桃鉄やってるとき胎動すごい。中の人の加勢を感じた。

・18wで妊娠中初めてのこむら返り

・マタニティじゃないタイツ履いたらキツすぎて驚いた

・ディズニーランドに行った。10時〜17時くらい。人多く見えたけど空いててめちゃ乗れた。

・ちょうど誕生日に戌の日だったので、戌の日参りした。

 

6ヶ月

・初めて胎動を視認できた。

・くしゃみするときとかにお腹が攣る感覚がある。

・お風呂で足を洗うときお腹が邪魔

・21wで胎児スクリーニング。全部異常なし。体重も+1kgだった。年末年始あったのに頑張った。

・21wでようやく夫も胎動がわかるようになる。

・緊急事態宣言で100%在宅勤務に戻った。動かないので、年明けから昼休みに散歩するようにした。

・仕事が嫌になって若干病む。

・頭がポンコツになる。仕事できてない感じがする。

・浮腫がひどくなりはじめる。日中も着圧ソックスを履くように。

・腰痛もつらい。マイナートラブルで嫌になって泣く。

 

7ヶ月

ポンコツが進む。

・腰痛は、腹帯とか骨盤ベルトとかしたらましになった。腹帯全然つけてなかったけど、毎日つけるようにした。

・浮腫がひどい。ほんとにひどい。仕事してると手にも浮腫が出てきていたい。

・25wの検診で、ついに+400gになれた!胎児の成長と同じくらい。1月に入ってから体重の増加が穏やかになる。

・血液検査も問題なし。浮腫もそこまで気にしなくていいと言われた。

・乳房チェックもあった。耳たぶくらいまで柔らかくしていわれた。耳たぶまで柔らかくなるなんて信じられない。

・緊急事態宣言延長で、市の両親学級が中止になって病む。

・お腹の端と端を同時にムニムニ押してくる胎動はなんなんだ、どういう体勢?

・7ヶ月後半になって、やっとベビー用品を見にいきはじめる。しかし全く実感がないまま。

・夫が1年弱育休取ることになった。ので、産後の里帰りをやめた。

 

以上。後期も穏やかに過ごせたらいいな〜

あともう少し頑張ります。

 

 

 

お菓子を巡って

私の実家は、基本的にお菓子やジュースを摂取する習慣がなかった。家に全くないというわけでなく、禁止されてるというわけでなく、そういう家だった。

姉はよくジュースとお菓子を買うようになったが、私は必要性も感じられないしお金ももったいないので、常にお菓子が周りにあるような生活はしてなかった。確かに小腹が空いたら何か食べたいが、だからといって購買の意欲にはつながらなかった。

結果的にはそれが、私が基本的に平均体重を下回ってる理由だと思う。食べる習慣がないから、食べたいと思わないから、ご飯以外に食べるものがなかったので太らなかったという話である。体質的なものもあるかもしれないが、大部分はそうだと思う。

 

同棲を始めて知ったが、夫はお菓子を常に置いておきたいタイプだった。別に生活費で買うのも拒否しないし、買っていい?と言われたら肯定してたが、私が食べないので、夫は小遣いで買うようになった。

ご飯の前や小腹が空いた時に食べている。なるほどな、と思う。それも別に悪いとは思ってないから、なるほど、と思うだけで、否定的な意味ではない。

 

結婚というのは、愛し合った2人が共に生活して幸せになるというものだと思うが、同棲して2年以上経った今考えるのは、結婚とは、違う家庭で育った2人が自分たちの生活を送るためにお互いの価値観をすり合わせて、よりよい生活を送っていく中で家庭というものを作るものだということだ。

我が家の場合、お菓子はそのひとつだ。

お菓子を食べない女とお菓子を食べる男が一緒に生活をしている。つまり、お互いの価値観は異なる。

もし私がお菓子を食べるような人間は信じられないというタイプの女だったら、そこで喧嘩になったり険悪になっていたかもしれない。

でも私は別にどうでもよくて、基本は食べないけどお腹すいた時に食べれるからいいよねと思うくらいである。ので、特にそこで争ったことはない。

夫が肩身の狭い思いをしてるかどうかはわからないが、私は気にしてないので、それは無用なことである。しかし彼がどう思ってるのかは、知らないし、わからない。

 

お菓子以外にも、沢山のことがあった。同棲時代を含めて2年半強の間に、私たちはいろいろなすり合わせをしてきたのだと思う。

子供が出来たことで、子育ての面で価値観のすり合わせが必要になるのかもしれない。

結婚したら大変なことももちろん多い。独身だった頃のようにはいかない。

でもそういう価値観のすり合わせ的なものを楽しめると、結婚っていいこともあるかも、と思えるのではないかと思う。

ただ、もちろん、それで争いになることもあると思う。そういうときに話し合いをして、そういう目を一つ一つつぶせるような夫婦になれたら、それが私の理想かもしれない。

 

 

 

妊娠生活①

妊娠した。

発覚は9月中旬で、いま5ヶ月を迎えた。なので、備忘的に妊娠初期と言われる4ヶ月までのことを書き記しておく。

 

2ヶ月の頃

・生理不順でずっとピルを飲んでたが、辞めたので基礎体温で管理しようと思い、基礎体温を測っていた。前月とは違いずっと高温が続いてたので、もしやと少し思っていた。

・夫にも伝えていて、この日に生理が来なければ妊娠検査薬やると話した。

基礎体温は低温期が長めの周期長いタイプ。一応高温期と体温期はわかってた。

・生理が来なかったので、週末に妊娠検査薬ですぐ陽性に。おお〜と思った。

・検査薬で陽性になった週末は全然大丈夫だったが、月曜からつわり開始。生きているだけで具合が悪い。仕事終わり次第すぐベッドに行って寝る。

・食べづわりで、お腹空く恐怖がすごい。何か食べてないと落ち着かない。

・食事は可能だったが、家事が一切できなかったので夫が全部やってくれた。大感謝。

・その次の週に病院に行くことにした。一番近い産科が分娩もやっていて、予約も取れた。

・が、夫に相談して調べたところ、コロナの影響で立ち会いダメ、入院時も一切面会不可で、えーとなり、もう一つ駅の向こう側の病院を調べたところ、そこは入院時は夫であれば面会可だったので軽率に変更。しかし予約は取れず、当日に行くことに。

・早めに行って1時間待った。いざ内診したところ、胎嚢は見えた。が、生理日からすると7週なのに胎嚢しかなく、生理周期は長いか聞かれて肯定。7週だとこれはおかしいが、生理周期長いということなので、まだわからない。また2週間後と言われる。

・ショックを受けて調べまくる。稽留流産と診断されてる人も多々いた。一度不確定になるだけで悲しいのに、失った人はどれだけ悲しいのだろうかと思った。

・不安な間にもつわりは続く。洗濯物を干すのも、洗剤の匂いがダメで無理だった。

・マリオ3Dコレクション買ったけど、ゲームの画面で酔って体調がお亡くなりになる。

・買い物にも出掛けられなくなった。とにかく縦になると具合が悪い。

・髪の毛が汚すぎて、つわり真っ只中の中美容院に行った。ガムを噛み続けて我慢。オエッとはなってましたね。

・食べづわりなのだが、お腹がいっぱいになりすぎても気持ちが悪い。どう転んでも具合が死。

・茶おりやピンクおりがあって不安に。鮮血はなかった。

・たまに吐く。

 

3ヶ月の頃

・2週間経って再診。予約を取ってたけど45分くらいは待った気がする。その日も具合が悪かったが、病院に着くと心臓がばくばくしすぎて、つわりなのか緊張なのかわからなくなった。

・卵黄嚢と大きくなった赤ちゃんが見えた!一気に安心した。当日の大きさで予定日決めますねとのことで、8w相当までの大きさになっていた。予定日も決まり、母子手帳の許可がおりる!次から妊婦検診でまた2週間後。

・診察終わったらすっかり元気になった。具合が悪いのを忘れられた。病院に行く日は元気になりがち。

・この日にインフルエンザワクチンも打ってもらった。しばらく腫れた。

・翌日に母子手帳交付へ。いろいろ説明されてすごい量の説明チラシみたいなのをもらった。

・続くつわり生活、終わらないつわり生活。

・鼻水もひどくなる。

・なぜか下っ腹がめっちゃ出てた。写真撮っておけばよかった。早すぎる。

・10wで初妊婦健診。まだ経膣だった。血液4本取られ、子宮頸がんの検査あり。

・赤ちゃんは順調。すごい動いてますねと言われる。

・へその緒と胎盤を説明されるが何が何だかわからなくてハァという反応になる。母親になれんのか…

・この頃から少しつわりが収まる。前の週まで死にそうだったのにすごい。

・しかし吐く。ナチュラルに吐く。

・上司に妊娠報告。

・お腹痛いけど胃腸なのか赤子の問題なのかわからない。

・つわりは収まりつつあるものの、体調万全とは言えない感じの体調。少しずつ料理をするように。

・くしゃみと鼻水がすごい。

・満腹中枢がおかしくてあまり量食べられなくなる。食欲はめちゃあるが、食べすぎると吐く。

・11月初旬にはだいぶ元気になる、が、吐く。

・13wで2回目の妊婦検診。初めての経腹エコー!4Dもあり、知らなかったので感動した。先生がずっと画面を見て喋らないので、なんか問題かなと心配してたら、あっずっと見てられますね〜と言っていた。

・赤子の成長も全体的問題なし。子宮頸がんその他検査も陰性だった。が、風疹の抗体がギリギリだった。。今は流行ってないし、コロナ対策と同じようにしてれば大丈夫と言われた。20wまでは気をつけるようにとのこと。

・お腹の痛みも、出血も見られないし問題ないでしょうとのこと。違う痛みがあれば来てと言われる。

・すぐ終わってびっくり。この日は補助券で賄えたのでお支払いもなし。次は4週間後。

・4Dエコーでへその緒もガッツリ見れた。バランスの良い食事をしなければ…という気持ちになる。

・相変わらず吐く。あまりにもポップに吐きにいくので、夫が引く。

・母親学級を受ける。食事等、色々参考になってよかった。

・毎日最低1回は吐く。

桃鉄やりまくっても大丈夫なくらい、体調は戻った。が、吐く。

・起きる時とかにお腹がつるようになった。あと脚の付け根が痛い。鼻水がすごい等々。

 

以上。

つわり真っ只中のときは、この先ずっとこんなだったらどうしようと思っていたけれども、私は過ぎていくものだったし、それはよかった。

入院とかもなく、重度でないような私でもこんな辛いのだから、妊婦というのはすごい。これからまだ長いし、やっと妊娠生活の半分手前なのだが、この生活を10ヶ月も続けるなんて、この世の全ての母親達はもっと敬われるべき存在だなと思う。

世の中には、経験しないとわからないことが沢山あるなと思ってもいて、子供を作ろうと思ったのも、ある意味自分の経験値をあげたいみたいなところがあったので、それはいますごいよかったなと思うことが沢山ある。

 

もっとお腹が大きくなって、胎動を感じるのも楽しみだなと思いつつ、エコーで見ても母性は湧いてんだかわからず、私は本当に人間育ててるんだ〜くらいの感想でいる。まあこのままのスタンスで頑張っていければいいかなと思います。

終わり。

 

 

 

 

 

 

シャインマスカットとナガノパープル

数日前、義母と我々夫婦のライングループに、普段あまり連絡を取らない義母から「山梨に行ったので、葡萄を送りました」と連絡があった。普段高くてあまり買えないフルーツをもらうとおおおお〜と狂喜乱舞してしまう私は、今回も例外なく、狂喜乱舞した。

義母と我々夫婦のライングループは、1年前、結婚したので和装の前撮りをするとなったときに、便利だからと義母が作ろうと言い出して、夫が作った。適当な夫は名前を「前撮り」にしていたが、もはや前撮りの話をしてないからか、義母が「私たち夫婦のイニシャル…義母のイニシャル」というグループ名に変えていた。

いやいやお義母さん、そんなディスタンス取らなくていいですよ…と思ったが、触れるのも面倒なので何も触れなかった。

 

送られてきた葡萄の箱は大きく重く、まあこの時期だからシャインマスカットであろうと生意気に考えていた私は、シャインマスカットこんな大きい?!と動揺した。

中を開けると、なんと、大きな身のついた高そ〜なシャインマスカットと共に紫の葡萄も入っている。

美しすぎる……と思いつつ、なんだこれは、と思ったら、ナガノパープルと記されていた。ナガノパープル。山梨にもあるのか、と思った。

 

デカすぎて1日では食べ終わらず、数日にかけてナガノパープルを食べた。

そういえば、テレビでハートの形をしていると言っていた記憶があるナガノパープルは、本当にハートっぽい形をしていた。甘くて、身がぎっしりで、美味しい。義母の方には足を向けて寝られねえ、と思った。(嘘)

 

昨日ナガノパープルを食べ終わったので、今日からシャインマスカットである。

夫から朝食に出し忘れたんだけど、出して少しずつ食べていいよと言われたのだが、いやいや、お義母さんの愛する息子を差し置いて嫁が食べるなど、滅相もありません…と思った。

思ったが、近頃体調が死んでいる私は、ちまちまと何かを食べる必要があるので、出して食べてしまった。私はこういう人間である。

 

いゃ〜美味い。ナガノパープルとはまた違う、愛するシャインマスカット。美味い。

我が家に色々と送ってくれる我が実家と、同じく義父義母に大感謝である。

 

 

親の老い

実家の親と話すたび、実家に帰るたび、老いたなあと思う。まだまだ50代半ばで、人生100年時代と考えれば全然若いのだが、それでも私が知っている親とは、少し違くなってると感じる。

そもそも私が知っている親ってなんなんだろうか。私は彼らの人生の50数年のうち、半分以下しか知らないのだ。いや、半分か。今年、彼らが私を産んだ歳と同い年になるのだ。でも、その半分のうち、人間になるまでの数年は私には記憶にないので、やはり半分以下、もしかしたら20年ほどしか知らないのだ。

私が知ってる親は、とにかくなんでもできる人だ。父親は日曜大工をよくしていて、休日になれば何か作ったり何か取ったり、とにかく何かに勤しんでいた。聞けば何でも答えてくれる存在だった。母親は手先が器用で、視力がとにかく良く、私と同じく読書が好きなので本を共有したりもしたし、噂話が好きな人間だった。噂話が好きなのは今も変わらない、義母がどんななのかとかよく聞いてくるので。(義母とは全く連絡取らないので何も知らない)

しかし、父親はどこかに出かけるたびに怪我をするのだと母親が話す。確かに会うたびにどこか怪我している。大丈夫なのかと問うと、もう体力がないとか怪我しても治りが遅いんだ、とか話す。あと、わからないからこれやってほしい、と頼まれることも増えた。何でもかんでも父親に聞けばいいと思っている私に、だ。

母親は老眼が酷くて、本を読むのをやめてしまった。たまに人気本を買ってる形跡はあるが、私がこれ面白いと勧めても読まなくなった。針に糸を通すのにも苦労している。趣味でやっていたプリザーブドフラワーも辞めるんだそうだ。

 

私が思う彼らから、遠くなっていっている。白髪も増えて、シワも増えて、確実に昔より老いているのを感じるのだ。私はそれを悲しく感じてしまう。私は変わらないものが好きだからだ、変わらずそこにあるものが好きだからだ。

しかし彼らは恐らく、夫婦二人の生活をそれなりに楽しんでいる。今はコロナもあるのでないが、前までは週末のたびに出かけたり、少し休みがあると旅行をしていた。(しかも車で) そして、ピザ窯を自分で作ってピザを焼いたり、燻製器を作ってみて燻製をしたり、家に友達を呼んでそれを振る舞っている。昔からそういうことが好きな人たちだったが、確実に私たち姉妹が自立(姉はまだ実家にいるが)してから、さらにアウトドアになった。

 

彼らが楽しんでいればいいのだ。そう思いつつ、やはり悲しくなる。変わらないものが好きだというのか理由だと思っていたが、わかった。恐らく、自分もこうなるんだと思うのが怖いのだ。常々、老いていくくらいなら早く死にたいと思っているので、身近に老いていく人間を見るのが嫌なのだ。私はこういう人間である。私は彼らみたいに老いてもなお楽しめるような人間にならないと思うのだ。

 

しかし、彼らが私の歳には既に二人の子がいた。母親は常々、私は50にはおばあちゃんになってると思ってたのにとか言う。そりゃそうだ。娘が子供を持つことを忌避して、DINKSの生活を楽しんでいることなど、考えられなかったんだろう。時代や、専業主婦(もしくはパート)をしていた母親とは環境がが違うと思いつつも、まあ思うことはよくわかる。

既に二人の子がいるなど考えられない。恐ろしい。親とは、なんて立派な大人なんだとつくづく思う。

死を迎える時

ドラマアンナチュラルを見ている。Twitterで、8月からアンナチュラルがアマゾンプライムに入ると知った。やっている時から話題になっていたのは知っていたけど、我が家は基本的に地上波を見ないので、1話も見たことがなかった。

地上波を見ないというのも、アマゾンプライムでずっと海外ドラマを見ているからだった。海外ドラマも人気のものを見るので、平気でシーズン10以上あったりする。それを毎日見てるので、地上波を見る時間がないのだ。

アンナチュラル、面白い。ギャグみたいなことを挟みながら、淡々と時が進む。石原さとみは可愛いし、見てて飽きない。人の生を、死体から考える、みたいな感じだと思っている。

 

先日、衝撃的なニュースが舞い込んだ。人気俳優の自死のニュースだった。別に好きでもなかったけど、確かにびっくりした。人の死は、確かに色々な方向から考えることができる。人気者の死なら尚更、いろんな人が死因(この場合は死因というよりも死を迎えることにした理由か)を考えるのだろう。

私がそのニュースを見ていた時、考えたのは、自分の周りの生物が死を迎えたとしたら、私はどうなるのかということだった。どんだけエゴにまみれた人間なんだ、と思う。人の死を悼むことよりも、自分の気持ちを思うのだ、私は。

ちなみに生物と言ったのは、ペットなども含むからである。

私は、基本的に冠婚葬祭の中で葬式に参列することが多かった。一番身近な死は、祖父と6年前に死んだペットだ。

 

祖父の死は、死んだ時に会えなかった。峠を超える超えないみたいな話になり、しばらく生きていたので、一回家に帰った。

ペットの死も、立ち会えなかった。バイト帰り、携帯を見たら母から連絡があって、どうしたの?って電話したら、ペットが死んだということだった。

今でも辛い。祖父は、死んだ時に立ち会った人がいたけど、ペットはひとりだった。外飼いだったから、仕方ないのかもしれない。けど、いつまでも受け入れられない。ずっとずっと後悔していて、一生カルマみたいに背負って生きている。今でも、思い出すと辛い。もう6年になるのか。

 

今実家にいる犬は、もちろん前の犬とは違う。それでも、私のカルマみたいなものを背負わさてしまっているような感じだ。私のいろいろな後悔を返上するために、この子に接している感じだ。

 

みんな、私より先に死なないでほしい。耐えられない。