親の老い

実家の親と話すたび、実家に帰るたび、老いたなあと思う。まだまだ50代半ばで、人生100年時代と考えれば全然若いのだが、それでも私が知っている親とは、少し違くなってると感じる。

そもそも私が知っている親ってなんなんだろうか。私は彼らの人生の50数年のうち、半分以下しか知らないのだ。いや、半分か。今年、彼らが私を産んだ歳と同い年になるのだ。でも、その半分のうち、人間になるまでの数年は私には記憶にないので、やはり半分以下、もしかしたら20年ほどしか知らないのだ。

私が知ってる親は、とにかくなんでもできる人だ。父親は日曜大工をよくしていて、休日になれば何か作ったり何か取ったり、とにかく何かに勤しんでいた。聞けば何でも答えてくれる存在だった。母親は手先が器用で、視力がとにかく良く、私と同じく読書が好きなので本を共有したりもしたし、噂話が好きな人間だった。噂話が好きなのは今も変わらない、義母がどんななのかとかよく聞いてくるので。(義母とは全く連絡取らないので何も知らない)

しかし、父親はどこかに出かけるたびに怪我をするのだと母親が話す。確かに会うたびにどこか怪我している。大丈夫なのかと問うと、もう体力がないとか怪我しても治りが遅いんだ、とか話す。あと、わからないからこれやってほしい、と頼まれることも増えた。何でもかんでも父親に聞けばいいと思っている私に、だ。

母親は老眼が酷くて、本を読むのをやめてしまった。たまに人気本を買ってる形跡はあるが、私がこれ面白いと勧めても読まなくなった。針に糸を通すのにも苦労している。趣味でやっていたプリザーブドフラワーも辞めるんだそうだ。

 

私が思う彼らから、遠くなっていっている。白髪も増えて、シワも増えて、確実に昔より老いているのを感じるのだ。私はそれを悲しく感じてしまう。私は変わらないものが好きだからだ、変わらずそこにあるものが好きだからだ。

しかし彼らは恐らく、夫婦二人の生活をそれなりに楽しんでいる。今はコロナもあるのでないが、前までは週末のたびに出かけたり、少し休みがあると旅行をしていた。(しかも車で) そして、ピザ窯を自分で作ってピザを焼いたり、燻製器を作ってみて燻製をしたり、家に友達を呼んでそれを振る舞っている。昔からそういうことが好きな人たちだったが、確実に私たち姉妹が自立(姉はまだ実家にいるが)してから、さらにアウトドアになった。

 

彼らが楽しんでいればいいのだ。そう思いつつ、やはり悲しくなる。変わらないものが好きだというのか理由だと思っていたが、わかった。恐らく、自分もこうなるんだと思うのが怖いのだ。常々、老いていくくらいなら早く死にたいと思っているので、身近に老いていく人間を見るのが嫌なのだ。私はこういう人間である。私は彼らみたいに老いてもなお楽しめるような人間にならないと思うのだ。

 

しかし、彼らが私の歳には既に二人の子がいた。母親は常々、私は50にはおばあちゃんになってると思ってたのにとか言う。そりゃそうだ。娘が子供を持つことを忌避して、DINKSの生活を楽しんでいることなど、考えられなかったんだろう。時代や、専業主婦(もしくはパート)をしていた母親とは環境がが違うと思いつつも、まあ思うことはよくわかる。

既に二人の子がいるなど考えられない。恐ろしい。親とは、なんて立派な大人なんだとつくづく思う。