死を迎える時

ドラマアンナチュラルを見ている。Twitterで、8月からアンナチュラルがアマゾンプライムに入ると知った。やっている時から話題になっていたのは知っていたけど、我が家は基本的に地上波を見ないので、1話も見たことがなかった。

地上波を見ないというのも、アマゾンプライムでずっと海外ドラマを見ているからだった。海外ドラマも人気のものを見るので、平気でシーズン10以上あったりする。それを毎日見てるので、地上波を見る時間がないのだ。

アンナチュラル、面白い。ギャグみたいなことを挟みながら、淡々と時が進む。石原さとみは可愛いし、見てて飽きない。人の生を、死体から考える、みたいな感じだと思っている。

 

先日、衝撃的なニュースが舞い込んだ。人気俳優の自死のニュースだった。別に好きでもなかったけど、確かにびっくりした。人の死は、確かに色々な方向から考えることができる。人気者の死なら尚更、いろんな人が死因(この場合は死因というよりも死を迎えることにした理由か)を考えるのだろう。

私がそのニュースを見ていた時、考えたのは、自分の周りの生物が死を迎えたとしたら、私はどうなるのかということだった。どんだけエゴにまみれた人間なんだ、と思う。人の死を悼むことよりも、自分の気持ちを思うのだ、私は。

ちなみに生物と言ったのは、ペットなども含むからである。

私は、基本的に冠婚葬祭の中で葬式に参列することが多かった。一番身近な死は、祖父と6年前に死んだペットだ。

 

祖父の死は、死んだ時に会えなかった。峠を超える超えないみたいな話になり、しばらく生きていたので、一回家に帰った。

ペットの死も、立ち会えなかった。バイト帰り、携帯を見たら母から連絡があって、どうしたの?って電話したら、ペットが死んだということだった。

今でも辛い。祖父は、死んだ時に立ち会った人がいたけど、ペットはひとりだった。外飼いだったから、仕方ないのかもしれない。けど、いつまでも受け入れられない。ずっとずっと後悔していて、一生カルマみたいに背負って生きている。今でも、思い出すと辛い。もう6年になるのか。

 

今実家にいる犬は、もちろん前の犬とは違う。それでも、私のカルマみたいなものを背負わさてしまっているような感じだ。私のいろいろな後悔を返上するために、この子に接している感じだ。

 

みんな、私より先に死なないでほしい。耐えられない。