来世とか今世とかの話

次にブログを書くときは、犬が好きな話にしようと思っていたのだけど、やめた。うちの犬はかわいいって話をしようかとしていたが、なんかまとまらなかったし、書く気にならなかったのでやめた。

 

最近のわたしはとりあえず頑張っている。母親になんでそんなに毎日機嫌が悪いんだ、と12時くらいまで詰められて、そんなことで睡眠時間を強制的に短縮しなければならなくなったので、頑張って機嫌をよくしている。それから母親がどう思っているのか知らないが、こっちとしては機嫌をよくしていて別に衝突していないし、彼氏もわたしが前より良くなったと思っているらしく機嫌がいいし、まあいいかと思っている。実際には、常に死みたいな気持ちなのだけど、まあ痛い思いして死ぬのも嫌だなと思うので、とりあえず電車に飛び込んだり高い所から飛び降りたりはしていない。

 

来世とか今世とかの話っていうタイトルは、来世があるならどうとかということを考えたからで、特に来世を信じているわけではない。ないけど、来世があるなら、今とりあえず頑張っていれば来世の自分は今よりマシになるだろうとか思っているみたいなことだけである。でも、来世があったとして、今世のわたしがなんで頑張る必要があるのかな、とは思う。例えば今世の記憶を引き継ぎ、人生二週目的なことにできるのならば、今世の間違いを全て正して、スーパーマンになれるのだろうけど、そんなことは信じていない。なので、今世の、今のわたしが頑張る必要とは何かみたいに思う。もうこうなってしまった以上、今更何かいいことがあるわけじゃないし、この先辛いことばかりならば、今死んでも平均寿命くらいで死んでも、何も変わらないと思う。そりゃあ平均寿命で死ねば、もしかしたら結婚もできるかもしれないし子供もできるかもしれないし孫までできちゃうかもしれないけど、だからって何、と思う。孫までできたところで、わたしの人生から何か辛いことなどがなくなるのかと言ったらそうではないことくらい知っているし、特にいいことなんてあるのか、と思う。それにわたしのような遺伝子を残したところで未来の地球になんの意味もなく、例えばわたしの孫がアムロレイみたいになって一年戦争の英雄になれるならまだしも、そんなことはないし、わたしはレイ姓でもないし、絶対にない。生粋の日本人として、まだミライヤシマになる確率の方が高いが、ミライさんになったところでブライトさんと結婚できるくらいなので別にどうでもいい。あと、もしかしたらどっかの交配がうまくいき、孫がノーベル賞を取れても、わたしの人生ではないので関係ない。じゃあわたしがそうなれば関係あると考える人もいるだろうが、そうなる確率はゼロだし、特にそうなりたいとも思ってないのでない。つまり、終わっている。この24年少し生きてきて、もう自分の人生は終わっている。平均寿命的に言えばあと60年はあるけど、60年で何があるかって遺伝子が残るくらいで何もないので終わったも同然、ここから何があるわけでもない。

 

じゃあ何を頑張ればいいのか、わからない。頑張ることもない。好きなこともなくなったし、お酒を飲んでも顔が赤くなって酷ければ翌日に響くだけだし、そりゃあ誰かと遊べば楽しいけど、それも24時間365日続くわけじゃないので、終わりがある。

みんなそんな風に毎日楽しいわけでもなければ辛いことの方が多いんだからとかいうやつもいるが、そんなの知っている。知っているけどわたしは嫌なんだからしょうがない。何もやる気がしないのに、みんなそうとか言われても、何の解決にもならない。